デモ、スト、スリなどに苦しめられる花の都()に一年以上住んでみてどう思うか

徒然文スト, デモ

パリは本当に“花の都”? デモ、ストライキ、悪臭、スリに苦しめられる生活は「地獄よりひどい」

少し前に、上記の刺激的なタイトルの記事が話題になっていました。

わたしは一年ちょっとしか住んでいない、新参者の立場ではありますが、実際に少し住んでみてどう思うか、パリについてよく語られる負の側面の一部に、簡単に意見を述べてみたいと思います。

こうしたマイナス面は、すでに知れ渡るようになって久しく、エッフェル塔やマカロン、お花畑のイメージでやって来たと思ったら、絶望して帰っていく(?)「パリ症候群」なる現象は、すでに消滅しつつあるんでしょうね…。

スリ

スリは多発しています。

ただスリを働いているのは、一般的なフランス人ではありません。
ジプシーのロマ族など、得体の知れない人々であり、観光客の多いパリは、狩り場にされているようです。

フランス人も被害に遭っていますが、どちらかというと、後々面倒なことになりそうな在住者ではなく、無防備な観光客が狙われる傾向にあります。

狙われやすい日本人観光客

地下鉄で日本語のアナウンスが流れるときは、たいていスリ注意喚起です。
(ごくたまに、駆け込み乗車止めてねのパターンも)

フランス語→スペイン語→英語→日本語

と車内アナウンスが聞こえてくると、いまだにモヤモヤします。
中国人観光客のほうが多いはずなのに…。

日本人の被害者が多いことの表れといえるでしょう。

わたしは他国でスられた経験がトラウマになっており、対策しまくってガードを固めているので、幸いまだフランスでスリに遭ったことはありません。

歩きたばこ

これは本当にやめてほしいところ。
屋内では一律禁止なのに、屋外では、なぜかオッケーらしいんですね。

屋外に制限を設けなかったら、路上喫煙し放題になるのは当然です。
(パリ市内では昨年、52の公園が禁煙になりましたが)

子供への悪影響

路上で前方から煙が流れてくると、腹立たしくなります。
煙が流れてこない側に、すかさずササッと避ける。

大人もだけど、「子供や赤ちゃんの顔にかかったら、危ないとは思わんの?」と謎です。

「大人の街」だから?(皮肉)

地下鉄の悪臭

あるあるです。

すれ違いざまに、びっくりするくらい素敵な香水の香りが漂ってくることも少なくない一方で、とんでもないニオイに奇襲されることが。

その辺で寝ているホームレスの方々や、構内をおトイレか何かと勘違いしている輩がいるからですね…。

市内の移動は、時間に余裕を持って行動できる人なら、バスが断然おすすめですが、わたしのようについ時間ギリギリになってしまう場合は、地下鉄が一番早いので、乗らざるを得ないのがかなしいところです。。

浮浪者・ホームレス

浮浪者やホームレスは、かなり多いです。
最初の頃はちょっとショックでした。

ただこの問題には、少し複雑な思いを抱いています。

彼らの中には、路上で生きるのをポリシーにしている人や、プロも紛れているのです。
なぜなら、信じがたいことですが、フランス人の善意が次々に寄せられて、それなりに儲かるから。

うちの近所にも、何十年と同じ場所で路上生活しているという「哲学者」がいました。(汗)
「施設で保護されるなんて、真っ平ご免だね」と言って聞かないので、その意志を尊重されている状態だとか…。

公道の一角を占領し、悪臭をまき散らしてはいましたが(汗)、追い出そうとされたり、危害を加えられたりすることもなく、人々の施しで十分生きていけていたらしいのです。

まるで存在すらしていないかのように、目に入らぬフリをして素通りされるのがデフォルトな国では、成り立たないでしょう。

接し方が違う

さりげに観察してみると、じつに多くのフランス人が、カジュアルにお金や食べ物を渡したり、ご近所の人と話すのと変わらない調子で、彼らと世間話や身の上話をしたりしています。

敬虔なカトリックの教えが根付いているからなのか、恵まれない境遇の人に何か分け与えたり、差別意識なく接したりすることに慣れている人が多く、皆さんじつに優しいし、押し付けがましくないんですよ。

保護・支援の仕組みは、先進国ならどこもそれなりにあるかと思いますが、人々の「接し方」が違うな。と常々思います。

彼らを完全スルーせず、

「めっちゃ見て気にする」
「側に置かれているコップにチャリンと何か入れる」
「バゲットサンドか何か差し入れる」
「話しかける、話し込む」

などのアクションを取るフランス人の多さに、当初は驚いたものでした。

ホームレスだって、自分たちと同じ人間。
困ったときはお互い様。

そういう意識が根底にないと、こうした行動は取れないと思うのです。

リュクサンブール公園近くの天文台噴水。
いつ見ても躍動感がスゴイ

デモ(ジレジョーヌ運動)

デモやストライキは、もはやフランス文化の一部であり、国民による政治参加の一形態ともいえるでしょう。

一昨年から昨年にかけて、ジレジョーヌの一部暴徒化が大々的に報じられましたが(ジレジョーヌ運動自体は、まだ地道に続いてますよ!)、問題になった破壊・暴力行為(犯罪)と、本来のデモ活動は、分けて考える必要があります。

ジレジョーヌのデモ隊=破壊者ではないのです。

一部の過激派や、デモに紛れ込んで暗躍するプロによるものと見られる犯罪行為は、真っ当に主張を続けるジレジョーヌのイメージを毀損している、と言っても過言ではありません。

それに最近は、

  • 身の危険を顧みず、デモに参加する行動自体は、立派ではないのか?
    (くどいですが、犯罪行為は論外)
  • 日本でデモを悪者であるかのように取り扱う風潮は、一体なぜなのか?

と考えています。

ストライキ(年金改革反対)

クリスマス休暇が台なし

先月12月5日(木)にスタートした、フランス国鉄(SNCF)とパリ交通公団(RATP)によるストライキは、史上最長記録を更新してしまいました。

最寄りの地下鉄駅は、一部時間帯以外は封鎖されているし、バスはどれもぎゅうぎゅうで、遠慮してしまいます。
いまやカオスな渋滞を横目に、市内ならだいたい歩いて行くスタイル。

クリスマスから年末年始にかけての、バカンス期間中の停戦も実現しなかったので、フランス人にとって一年でもっとも大切なイベントである、クリスマスの休暇の予定が台なしになってしまったケースも、少なくないとか…。

経済的損失

クリスマス商戦(好きな言葉じゃないですが)を直撃したのも痛いですね。

普段はケチ質素なフランス人が、ここぞとばかりに消費に意欲を示す時期であり、観光客が大勢訪れる時期でもあります。
かつて12月にストが長引いたときは、レストランやカフェなどの倒産が相次いだといいます。
フランス経済への打撃は相当なものでしょう。

かなりの悪手と思われますが、あえて狙い撃ちしたんでしょうか…。

スト自体に対する思い

今回の大規模ストの趣旨は、主に国鉄職員による、マクロン政権の年金改革案に対する抗議です。
(いろんなバックグラウンドの人が参加してはいますが)

かつて鉄道の動力源が蒸気で、大量の石炭をくべていた時代。
過酷な労働環境と健康問題に配慮して、国鉄職員には、一般の定年年齢よりかなり早い50代での定年、終身雇用、家族にも適用される大幅な運賃割引など、さまざまな特権が付与されました。
が、石炭などとっくに扱わなくなってからも、特権だけは維持されてきたのです。

今回の年金改革案では、職種別に42もある特別制度を廃止して、一本化する予定なので、国鉄職員は特権を失う形になります。
一見、既得権益を死守したい層がゴネているだけ。

ただ、この年金改革案では、年金格差を是正すると言いながら、割りを食うのはじつは庶民であり、富裕層との格差を深める結果になるとの主張もあり、国民のスト支持率が高いのも、この点が懸念されているためです。

もちろん、「そんなに働きたくない!」「特権手放したくない!」というシンプルな主張の場合も多かろう、なわけですが。

ランボーの詩「酔いどれ船」の手書きアートな壁。

老齢の大詩人の作品かと思いきや、
1871年のパリ・コミューンの頃、
10代後半の天才少年が書き上げた詩だという。

西日に輝くサン=シュルピス教会

「他人の迷惑を顧みず、権利ばかり主張して!」

みたいな流れになりがちですが、権力者の決定には黙って従い、ひたすら社会に迷惑をかけないように奉公するのが、美しい姿であり、社会の役に立つこと……なのでしょうか。
長い目で見たら、一概にそうとは言えない側面もあると思うのです。

自身の権利をないがしろにすることは、他人の権利を軽視することにもつながります。
自己犠牲が行き過ぎると、他者にも厳しくなる傾向にあります。
結果として互いに寛容でない、生きにくい社会を形成してしまうでしょう。

労働者や庶民にとって不利な決定がなされても、誰も何も言わないのなら、権力者にいいように扱われ、社会福祉は削られ、格差はますます拡がっていくでしょう。

この国では、実際に声を上げて行動することで、何か変わるかもしれないなら(実際に変わってきた土壌があります)、多少の不便は許容できるというわけです。
今回のストは、多少どころではない状態なんですが。

自己責任論も結構ですが、なぜかの国では、本来は権力者に向かうべき怒りが、庶民同士・労働者同士対立する方向に向かいがちなのか、考えてしまいます…。

個人的には、
今回のスト、ちょっと行き過ぎじゃない?
国鉄職員、優遇されすぎじゃない?

とも思いますが、積極的に非難する気持ちにはなれませんし、そのような立場でもありません。

まともに機能していない公共交通機関に、「日本ではあり得ない!」と憤りを覚えることもなく、心穏やかに徒歩で足腰を鍛える日々です。苦笑

ナチス・ドイツから開放された
シャンゼリゼ通りを闊歩する
シャルル・ド・ゴールの像

犬の落とし物

道路には、そこかしこに真新しいアレが落ちています。
犬のものとも、馬のものとも判断しかねるものも。笑

美しい街並みに目を奪われがちですが、足下にも目を光らせておく必要があります。

あとで清掃車がまとめて洗い流すから問題ない、という合理主義なのかな?笑

袋でそ~っとつかんで、持ち帰っている飼い主を見かけると、内心「エラいッ!」と叫んでしまいます。
日本では当たり前かもですが。

総合的に

上記のようにカオスな花の都()で一年ちょい生活してみて、総合的に見てどうかといえば、じつは、、、これがなかなか気に入っています。笑
伝わりにくいかと思いますが。

この国では、皆好き勝手に生きているようで、意外と助け合いのスピリットがあるというか、なにか底知れない寛容さ、人間味、慈悲深さみたいなものを感じるのです。

一見マイナスにしか見えない現象の裏にも、それが垣間見えるときがあります。

多くの国と同様、さまざまな課題を抱えてはいますが、「もっと深く知りたい」「もっと突き詰めてみたい」と思う魅力が、この国にはあります。

徒然文スト, デモ

Posted by lamanne